「ロザンの楽屋」が新しいYouTube動画「【腑に落ちない】コメディアンの罰則は無し」を投稿しました!
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【腑に落ちない】コメディアンの罰則は無し
ロザンの楽屋 ロザン
動画へのコメント
- じゃない?………うん!っの顔よ。笑
- 菅、めっちゃ自分の事イケメンって思ってるナルシストの顔キモォ
- 文化の違いを感じた
- 単に三段論法が理解できるほど、人類が頭良くないだけじゃないですか?宇治原さんみたいに賢い人は少ない。
- こういう可能性ありませんか?。 ウィル・スミスがビンタしたから、クリス・ロックのジョークが言葉の暴力のように感じてしまうだけじゃないですか?。 ウィル・スミスの暴力から逆算してませんか?。
- これは憶測ですが、クリス・ロックさんはアカデミー会員ではないため、授賞式内の発言等についての、アカデミー側の責任がないのではないか、だから罰則など何も話をしないではないか、と考えてみました。
- 「言葉の暴力」って言ってますけど、英語のジョークの感覚が理解できまてますか?。 ホントに「言葉の暴力」なのかどうかわからないじゃないですか?。
- 侮辱罪だよね。まだ追加で言おうとしてたとしたら、正当防衛になったのかな。名誉に対する正当防衛は判例はない気がしますが、財産に対する暴行が正当防衛となった判例があったはずなので、注目です。
- あの場に居たのが全て日本人だったら、失礼な発言をしたコメディアンは大炎上して仕事激減してたでしょうね。アメリカではあのコメディアンは普通に変わらず仕事があるんですかね?(一時チケット価格が高騰したという記事は見かけましたが)
- アカデミー賞ってコメディアンがスーパースターをめちゃくちゃ揶揄してそれをスマートに聞き流せるのが一流のスーパースターみたいな文化があると聞きました。いろんな問題が混ざってる今回の問題は難しいですよね。(黒人が暴力ってのもあるらしいです。)アメリカって事実だけを報じてる気がします。移民も多いし多様性を重んじる文化だし、アメリカ人の数だけ結論はあるから個々に結論出して終わりな気がします。日本にでしか私は住めないですね
- 珍しく宇治原さんの滑舌が悪いね。結局、叩いた瞬間に、揶揄行為はオールリセットのお咎めなしと言ってるようなものだからね。いくら違うと言っても本質はそう聞こえる。
- やっぱり文化や価値観の差が根本的な原因だと思うのでアメリカ人に聞くしかなさそう。アカデミーの判断を無理に日本的な感覚に当てはめて理解しようとするとむしろ遠ざかってるような気がする
- 翻訳した文を読んだだけですが、アメリカ人と感覚違うなーと思った表現が二つあって「コメディアンだからプロの仕事をしただけ」「人前で暴力をふるわれることは最大限の侮辱だよ」プロの仕事なら侮辱していいんかいってまずは率直に感じましたがプロという単語でF1ドライバーを連想するとF1でスピード出し過ぎだとかブレーキ遅いとか、カーブで抜くなとか思わないのですが一般道では当然、安全運転が一番上手い運転なのでそこの差がプロを見る時の違いだと考えていてアメリカではコメディアンもそういう目線で見るのかもって想像しましただから危険な発言、一般生活ではするべきではない発言も、プロの仕事だからってことなのかなと自分とは感覚違うけど理解は出来ますただ、その後に実は彼は空気を読むことが苦手な非言語性学習障害だったみたいな記事が出てそしたら安全運転が苦手なやつの危険な運転をみんなで笑ってたんかって思ってしまったまあ同じ人が言ってるわけやないので色々ってことですがちなみに今回の発言はリハーサルではなかったジョークだという記事を見ました台本はわからないけど、リハで言ったジョーク、リハで言ってないジョーク、リハで言って却下されたジョークがあるような話でした二つ目の人前で暴力をふるわれるのは最大限の侮辱これ自分は「人前で」って部分があんまり関係なく感じました暴力自体は侮辱的だなと感じて怒りが出ますけど、人前かどうかは関係ない感覚でただふと思ったのは、アメリカでは黒人奴隷に対して暴力で言うことをきかせるとか、体罰を与えていいとされる存在が居る社会があってそれと決別しようとしてきた歴史があるのでそれを念頭に置くと、暴力で罰を与えるってのは差別的な行為に近しい感覚なのかもだとしたら人前で手を出すのは、こいつは殴られていい人間だっていう表現になってしまうので、それは最大限の侮辱かもしれないなとそんな理解をしましたまあ全然感覚と違ったけどこれなら理解出来るなっていう想像ですけどね人前で侮辱するのは暴力ってのは感覚的にしっくりくるのに、人前で暴力は侮辱ってなると違和感あったのは人権意識が低かったかもなあと思ってます
- 原因がなければ事は起こらなかったわけで、揶揄がなければウィルスミスはいつも通り紳士的な振る舞いで終ってた。原因作ったやつが何も罰則なしは本当におかしい。人を呪わば穴二つ、揶揄するなら自分も相応のダメージがあることを覚悟しないと。
- クリス・ロックは今までもずっーとこの芸風。今までもみんなが承知で認めてる。罰則にしたらアメリカ文化は終了すると思う。トランプさんには言ってもよくて、ウィル・スミスには言ってはいけないなんて。ウィル・スミスに罰則はいらないと私は思う。
- とても共感できる話でした!自分が感じていた違和感に納得できました。ありがとうございます。
- 最近仕事が忙しすぎてニュースもろくに見れてなかったのでアカデミー賞からコメディアンに対するその後の発表がないことを今知って驚きました。文化の違いといってしまえばそうなのかもしれませんが、アメリカ国内でも「殴りたくなるぐらい怒る気持ちも分かる」という意見は少なからずあるようなので、アカデミー賞協会?からの説明はやはり必要だと思いました。最後の宇治原さん、変に菅さんを下げることなく同調してるのが何か優しいなぁって思っちゃいました
- 一番の理由は表現の自由の考え方なのかと思います。発言の内容についての容認はしなくても、発言自体の権利を奪うことはできないし、尊重されるということでしょう。ウィル・スミスは恐怖によって相手の権利を奪おうとしたととらえることもできます。アメリカの表現の自由はかなり強力で、ヘイトスピーチを防止するための方策(州法とか団体のルールとか)が合憲であるかどうかが何度も争われています。人種や民族、宗教等に対する暴言であっても、それを禁止することにはかなり慎重であったわけです。アカデミーがこのような発言を禁止するようなことをした場合は、裁判になるでしょうし負けるかもしれません。ルールとして制定していなくても、自粛を促すような意見を出せば、やっぱりいろいろ言われそうです。アカデミー賞の価値は特にかわらないと思います。だいたい映画内の表現で傷ついた人だってたくさんいるはずです。そういうものを評価して賞を出している団体です。そもそも不特定多数に対して表現をしているのに、誰一人傷つけていないなんて言うほうが傲慢だと思います。表現をする以上は誰かをそれなりに傷つけてしまうことが前提で、あとは程度問題。あまり話題にならないということは、今回のことはアメリカとしてはその閾値を超えるものではなかったのでしょうね。ってところかなぁ?個人的には、発言内容に賛同はしないですし品がないなあとは思いますが。
- 相手側の罰則は「ウィル・スミスからの暴力」ということなんでしょうかね?コメディアンに罰則を与えた場合、殴られて 且つ 罰も受けてしまって二重に罰則を受けてしまって不当に思い罰になるのではないでしょうか?
- 菅さん髪の毛いいですね
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出典:ロザンの楽屋