「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しいYouTube動画「「神」は否定を通してしか語れないのか、この世界はすべての可能世界の中で最善なのか」を投稿しました!
茂木健一郎の運営するYouTubeチャンネル「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しい動画「「神」は否定を通してしか語れないのか、この世界はすべての可能世界の中で最善なのか」を投稿しました!
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「神」は否定を通してしか語れないのか、この世界はすべての可能世界の中で最善なのか
茂木健一郎の脳の教養チャンネル 茂木健一郎
動画へのコメント
- うーん。伺っていると科学の思考方法の概念にあるカントの「純性理性批判」を無視しているように思うんですよね。神を論ずると人間に感知しうるものではないのだから、論じると形而上学になってしまい現実にある事象を分析することが出来ないから「人間が経験上感じられないものは、分からねーから科学じゃないよね」という事だと思いますが。神が存在しようが不存在だろうとどちらを論じても「神は人間の都合のいい存在ではない」ではないでしょうか?だいたい、「神」の否定論者は、人間の願いを叶えない沈黙しているから云々と言いますが、じゃ叶えるだけの存在が神か?であって、そうならば「神は人間の奴隷ではないか?」となりますわな。下手に科学に「神」を唐突に持ち込むとカントの言うところの理性の暴走になるだけで、荒唐無稽になりませんでしょうか?神って人間の奴隷なのか?だろうかと思いますけどね。神は神であって、人間が云々という事自体が何か「人間にとって都合のいい神」を人間が求めているに過ぎてる気がしますね。。 キリストがサタンに言い返した以下言葉は、科学に対する至言のように思うんですよね。。 「あなたの神である主を試してはならない」 『新約聖書』「マタイによる福音書」4章1~11節因みに、クオリアは人間の脳内で帰納的ルーチン回路で形成されるもので、受動意識仮説のように多くの電気の流れから同一の流れが強くなるので、表象意識に現れているのがクオリアとして認識されるじゃないかと。つまり、クオリアは、人間の生存中に起こるイベントすべての集合結果ではないかと。人間の多くが共通のクオリアを持つのは、人間がほぼ同じ組成体であり、同じ感覚器官を持ち、同じような記憶媒体である脳を持っているから似たクオリアを形成しやすいということではないかと。
- 最低限のルールは守ってほしい女性を不安にさせて、それで天才とか、それは勝手だと思う。家庭を収められない者は世界も収められない、とかいう名言あったと思う。
- 神は虚構(否定的な意味ではない)、宗教は文化(地域性、歴史性あり)。
- 私の組織の逆風を受けそうです。私は「神」という言葉を実はよっぽどのことがない限り使わないです。創造主という言葉を使ってます。「神」を使うと「サタン、悪魔」が現れます。そうすると善悪が存在し、神が悪を創ったのかといういろいろな矛盾が生じます。結局、「宗教」も「科学」という概念は人間が作り、「神」も「サタン、悪魔」も人間が作ったという考えです。こんな考えは宗教からかなり逆風を受けますね。 現象面で意識の法則があり、あくまでも私の考えですが、一人の人間が自分の内面を見るのはそれ自体では不可能のようです。人間の性稟という考えがありますが、私は人間一人一人に備わっていると考えています。色々と書きますと長くなりますので結論を申し上げたいと思います。 人間の良心というのはこれも言葉の概念ですからその概念に収束してしまいます。同志社大学では良心論をかなり研究していますが、やはり善悪基準の良心から抜け出れないようです。私は創造性の良心を考えています。この二つの良心の考えが実は裏表になっていて、面白いですね。自分自身の日常の生活で感じます。それが自分の意識を中心として感じ取れるんです。人間には理想の内部モデルがあります。誰でも理想があります。宗教で神を信じる人々は神の理想が自分の理想になっています。 教えられた理想、真理というのは実は概念なのです。身体化されてないのです。いくら人々に教えても身体化されないで概念になっているので真理といわれる経典はただの文字列になっています。でも、理想の内部モデルはかなり高められるのは確かです。しかし、それが善悪の格差をより広くしてこの善悪、正誤関係から抜け出れなくなってしまっていますね。 じつはこの善悪の基準の良心、と創造性の良心は人間の意識を中心として表裏しています。人間の意識を中心として表裏一体です。それは「私」が自分の意識に対してどう考え、どのようにとらえるかで決定されるようです。これは私の体験ですからかなり確実です。これが自分の意識が私自身だということを認められるか認められないかということなのです。仏教で言えば自分自身を完全に知ることが出来る法鏡の境地は自分の意識は自分自身だということを認めることだということです。この考えは私が日常の生活で編み出しました。 ところが、色々とブログとかフェイスブックで記事を書くんですが、何の反応もないんです。だから自分の考えは変な考えなのかなと、どうしてこんなことが認められないのだろうと考えてしまうのです。ヤッパリ私は変人の中の変人でしょうね。自分の意識、イライラしたり、いかったり、喜怒哀楽は自分の内部が環境を通じて現れた自分の意識なんだということがまったく認められないのです。そして神とかサタンとかはそれを認めると実は消えてなくなります。これを私は実感しています。人間の内面に入ってしまうと神様もサタンも悪魔も善悪もなくなってしまって、あるのは自己創造なんです。
- 神は、自分の脳を守るために架空の新たに作り出した法則なのではないか?今、生きている中で雨乞いとか、田の神とか、踊りとかに願い、希望を願望を新たに作り出した。脳を守るために自然の成り立ちを使って身を存在させたのではないか?と思った事。
- いつも、困ってるときにタイミングよく助けていただいてます。ありがとうございます。
- 神についての本、日本語でも読みたいなー…
- これから視聴しまーす!茂木先生の30〜45分くらいの動画が最近好きでよく見ていますー。どんな動画も好きなんですけどねさまざまな神が想像しうる世界に存在する自分がまるで世界の中心のように感じることがあります。奇跡だなあ。
- 平和時代のDr.
- 日本人は「神がいる、いない」という基準でしか考えないから、「人間の五感を通して感じれるかどうか」「目で見えないから存在してない」と判断しようとする。地球がなければ人間は誕生してないし、宇宙がなければ地球も存在できないのに、人間の五感で理解できるものが世界の全てと思ってしまうけど、宗教の話別にしても人間が理解できないor感じることができないもっと大きな存在があるということは当たり前だと思う。キリスト教が世界で一番大きいから批判の対象になりがちだけど、わざわざ他人の宗教を声を大にして一生懸命否定するのはナンセンス。
- 僕は、神がいるとするならば、考えたい視点があります。それは、依存関係です。人間は、社会的生物で、他者に依存しているとも考えられます。では、他者との依存関係がない完全な個体は、どのような性質を持つのか。半永久的な肉体を持つのか。神が干渉する条件とは?僕はこの完全な個体と、現在の人工知能を照らし合わせて考えると、近いものを感じると思いました。
- 長尺の動画、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。編集やご準備の形跡もなく、あーこの方とは脳みその出来が違うのだ、と痛感しました。追伸『ヘドウィグ&アングリー・インチ』、お時間あればご覧になって下さい。本当にありがとうございました。
- 神の定義も人それぞれ違うと思いますが、我々は科学的に神の存在を肯定や否定も出来ないと思う。この世が仮想現実だとしてもその元となる物が存在しないといけない。神も同じで神も何から出来ているのでしょうか?我々は因果律の概念に縛られている限り結論は出ないと思う。 もし人間が、終わりもないし始まりもないという概念を詳しく理解できればまた違う世界観が生まれると思うけど、自分には受け入れがたいです。
- 神というかどうかは分かりませんが、想像を超えた「大いなる意識」は存在すると確信しています。証明は出来ませんが、感覚として。
- インテリの条件無神論者。笑
- この世は仮想現実だという説は?
- 頭いいなぁ。秀才なのか天才なのか。
- おはよう御座います。^ ^先生の提唱されるクオリアは、多分、言葉を超えた大いなるもので、小さな括りでは、表現出来ないのですね。日本人の、昔からある大いなる存在への畏敬の念は、様々な概念のプロトタイプになっているかもしれない…はっきりしていないものの中に、人間は否定しきれないものがある、そんな感じかなぁ…❤。
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