「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しいYouTube動画「きびしい真理の追求と、人の心を癒やす言葉は両立する。南直哉さんとの対談を思い出しながら」を投稿しました!
茂木健一郎の運営するYouTubeチャンネル「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しい動画「きびしい真理の追求と、人の心を癒やす言葉は両立する。南直哉さんとの対談を思い出しながら」を投稿しました!
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きびしい真理の追求と、人の心を癒やす言葉は両立する。南直哉さんとの対談を思い出しながら
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動画へのコメント
- 瀬戸内寂聴さんが、「あの世はあるかどうかわからないけれど、あると思うほうが楽しい」と言っていたのを思い出しました。
- ふむふむ心に栄養、よいお話です。最近は先生の動画を観ながら、朝晩自分と対峙しているような気がします。もちろんコメディーも
- お話聴いてて思い出すのは、孔子さまの「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」でした。あの方も相手によって話を変えていますよね
- この世は無慈悲である。私たちは無慈悲からの救いを求めている。宗教は救いの手段のひとつだ。「信じる者は救われる」というのはとても的を得ている気がする。自然科学もまた自身の「存在」について考える機会を与えてくれる。
- 心あたたまるいい話✨ありがとうございました
- 茂木さんのクオリアを通じて、お釈迦様のクオリアを主観的に垣間見る。の回ですね。この世には2つのタイプの人類がいて、これは人類だけではないかもしれません。独立を教育に扇動されて核家族になり高齢結果の独居方や、膵臓がんでガンであと余命40日なのに一瞬で絶命するウクライナの人々を憂慮している方や稚拙な政治に加害者にされて、70人規模の工場の社長で賃上げの原資がなく苦慮されている方、1つのタイプはワタシという意識と、その方々にもあるであろうと推測する意識の2つ目タイプこの2つの種類の意識があるということに向き合う時に私はいつも茂木さんの絶対的に実在する、どんな人でも理解できる壮大な宇宙論の話をします。私のたった1つの意識ではありますが、あられの歌詞にあります。。「天国になどとうにいけないけど、この音楽なら聞ける、耳が痛いのはしかたがないけど、おれのほとけはとまらない」という部分と「限りある命だぜ、どうか最善を尽くしてくれ、そんな願いを込めて、ハシゴなら一応ここにかけておくね。。」という節があります。この祈りのハシゴは1タイプ私が登るものではありません。2タイプ目の方々が登るものです。「長い箸の極楽と地獄」の例え話に近いですね。インターネットでは短く箸を持てばいいじゃんと言いますね。。大変良いアイデアで社会の合理扇動の弊害が顕著です。タイプ1は一切、タイプ2を助けることはできません、お釈迦様のような如来は時空を超越的に1タイプに寄り添い、茂木さんを通じてメッセージを送り続けてくれます。私は、装置の中の猫を確認は絶対的に確認するつもりもありませんが、タイプ2の方々の意識の中にも「南無阿弥陀仏クオリア」が召喚されるのをなんとなく感じる時があります。毎日の生活の行の中で、受け取る約7秒前の脳の活動はタイプ1の因果律という遺伝子記憶や意識記憶で180度ネジ曲がったり、0度で直球で行を行うこともがあります。そういう意味で茂木先生の研究は実に我々が立派に応用するべき実践的科学工学?でそのお仕事やお役目は絶大です。科学なき〇〇は盲信であると、後ろの先生も言われましたが、、マスコミュ写真でシコシコして恋愛出来ないのに少子化を訴える大本営メディアで語っていた頃の先生のワタシの印象は「脳をなんとなく理解しているような、レビ記 24:16医師’(いし)で打ち殺されるべき占い師」と思ってました。(合掌)(謝)でも今は「お釈迦様発、後ろの先生経由、800年以上前の創建中の知恩院の風景が見え法然さんがなにか喋っているのが意識で見える」時空超越型如来召喚システムに思えます。(笑)
- 無記は、煩悩という毒矢を抜くことに集中することを説き、お婆ちゃんには、死の恐怖という毒矢を抜くことに集中する。偶像崇拝を禁止する宗教も多いですが、仏壇の仏の掛け軸にはお坊さんが「方便法身尊形」と書くのが作法です。「方便」とは現実と折り合いをつけていく知恵ですね。仏教自体もまた「空」であるというのが大乗仏教であり、お経とは全て方便。南無阿弥陀仏も無記も、それぞれの人にとって、光のように最短で悟りに向かっていくための道であり方便。一心に念仏を唱えることは方便の位相にあるため、念仏が空であることと矛盾しない。脳科学者の方には「悟り」を解明してほしいです。もし解明できれば人類の道が開ける可能性があります。
- 科学が進めば進むほど、人は宗教的なものが必要になると著書で書かれている河合隼雄先生を思い出します
- それはでもそのお婆さんが慰めを求めてるとしての話ですよね。法然上人がお婆さんだから慰めを求めてると思う人だったかどうか確信が持てません。 それに当時の比叡山の「授戒」って言う仏教のあり方は真理の追求とか、そんな代物とは程遠かったと思います。だからこそ法然上人も黒谷に隠遁して独学したわけなので。 でも確かに法然上人の関心の中心には衆生済度があったには違いないと思います。 そう考えていくと真理と慰めは重なっていくのでそこは難しいところだと思います。
- 茂木先生の立場なら、「知識とクオリア」とでも言えますか? 私の問題意識に照らすと以下の様になります。 拙論 note「神の知に観られる個―救いの対象―」=『日本カトリック神学会誌』第27号(日本カトリック神学会、2016年)の引用文です。「西垣通も「いのちの集合知をつくる―アート、精神ケア、現代宗教から考える」というイベントで、「集合知」について発言し、「知とは基本的にはWisdom(知恵)であり、Knowledge(テクニカルな知識)ばかりではない。仏教でいう『悲』とは、『人の苦しみを取り除く』ということ、我々が自他の苦しみを取り除いていくための工夫が、今後、必要だろう」、と述べている。」 茂木先生がこの動画で示されたことは、古来から「普遍と個」との問題の現実的な理解に繋がると思います。その「普遍と個」との問題を中世のトマスは「知性単一説」と「個霊の救済」との関係の問題として捉え、弁証法過程の止揚の位置を探求し、「個のイデア」に至ったという見解を、これまでの拙論で主張しました。この2年ほどは、以下の観方をしています。「宇宙のエントロピから散逸構造でネゲントロピとして生じた情報進化過程は、RNAワールドに始まった生体高分子の分子担体の情報から、神経、脳の電子担体情報へ進展し、さらに脳の自己外化で半導体に拡張し古典コンピュータとなり量子コンピュータに進展している。この線形的開放系進展を示す水平軸に、垂直軸で交わる非線形的閉鎖系システムの「個」を生み出した過程は、前者は自然科学が観る流れになり、後者は物語(主観意識)のシステムになる。前者の過程の内に見ると、人間は情報の分子担体から電子(量子)担体への相転移現象とも観られ、この過程の上でウィルスもICTも進化していることをコロナ禍は示した。またこの過程に現れる多様化現象は帰納的認識をもたらす多脳化を展開し、後者で「個(人間)の尊厳」を唱える価値創造・意味付与された演繹的システムとなった。そのシステムはクローズされ価値と意味をフィックスされて「永遠の物語」となる。今やメタバース社会さえ現れ、グローバリゼーションがニューラルネットでなくインターネットで繋がれたグローバルブレインへと進展する中で個々に物語られる。」
- じっくり聞かせて頂きました。ありがとうございます。
- 良い話ですね~
- 南直哉さんと茂木先生との対談本に癒されたことを思い出しました
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