「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しいYouTube動画「自分の人生を、そして日本を元気にする「興行」の精神。」を投稿しました!
茂木健一郎の運営するYouTubeチャンネル「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しい動画「自分の人生を、そして日本を元気にする「興行」の精神。」を投稿しました!
「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」はチャンネル登録者数 91,800人の人気YouTubeチャンネル。
芸能人YouTubeチャンネル登録者数ランキング第376位です。
自分の人生を、そして日本を元気にする「興行」の精神。
茂木健一郎の脳の教養チャンネル 茂木健一郎
動画へのコメント
- inspirng thougts✨✨
- おいーす!(みなさんぜひコメント読みましょう!) ー> この興行「感」の問題、ワタシにとってはかなり重要な問題なんで、もう少し語らせてほしいw
- 面白い組み合わせってありませんよね。というか、組み合わせる材料がそれぞれ行き着く所まで行ってるというか、似たり寄ったりで組み合わせて面白いとか意外性があるとか感じられないです。自分はというと、ドンキホーテ未満というか、身動きが取れないなりに試行錯誤してますが、これを続けて何ができる様になるのか全く分からないですね…
- もともとの興行は、オーディションで選ばれた才能ある人が、しっかりした設備で客からチケット代を貰うイベント。それを拡大して「誰かが何かに挑戦して、それを見た人を楽しませる」にすれば、無料の路上ライブや、無名ユーチューバーのゲーム実況なども広義の興行になりますね。
- 本当にお疲れ様でございます。僕は先生をずっと観てきましたけど、それは先生のごく小さな一部分に過ぎず、その裏でいったいどんなことがあったのか…きっと想像を絶するのではないかと。「興行」は人を救います。実際に先生に救われた方はいっぱいいます。「興行」は必ずしもエゴイスティックに催されません。先生、もし先生が自分の快適さと利益だけを追求したならそうしてないですよね。先生はそんなものを超越した正義のためにずっと動かれています。それはものすごく尊いことで、僕を含め世の中のほとんどの人間にできることじゃないです。僕が先生を尊敬するのは、その途轍もない愛情の深さと慈悲の心のためです。心から尊敬しています。でも最近ちょっと疲れてるっぽいから、まずはゆっくりしてね。先生も大事ないのちですから☺️☺️僕はただ先生が幸せで居てくれたらあとはどうでもいいです。
- この興行「感」の問題、ワタシにとってはかなり重要な問題なんで、こちらにおられる皆様にはご迷惑かもしれませんけど、もう少し語らせてほしいw先にも書きましたけど、人々が、プロレスを半分は「本気」で見ているって感覚、それが今はプロレスに限らず!無くなったんです。えらくマニアックな話になりますけど、やはり70年代後半に、プログレにマグマっていうグループが居て、彼らは自分たちのことを「コバイア星人」だと言ってた訳です。自分たちはコバイア星から来て、コミュニケーションもコバイア語を使っているのだと、昔の創刊当時のプログレ雑誌だった頃のFool's Mateとかに載ってて、コバイア文字とかもあって、よーく見るとフランス語を崩したような感じにしか見えなかったんだけど…、ただ、やっぱり半分は本気にしていた。正確に言うと、自分の脳の領域に、それらを本気で愉しんでしまうような回路が確かにあった、という感じ。メジャーなところで言うと、やはり70年代後半のロック・グループにKISSというのがいた。アレは、今の人が見るとコスプレだろうと、思うんでしょうけど、やっぱり「コスプレ」としては見ていない。どこか本気で見ていた。だからこそ、今でも忘れませんけど、85年だったかフジテレビの昼間の番組で聖飢魔IIのデーモン閣下を初めて見た時の衝撃って言うんですか? そうか、これはギャグになるのかと(ギャグだったのかと)いう価値の転換が起きた。それは70年代初頭に楳図かずおが『漂流教室』を描いた←それと同じ絵柄で!『まことちゃん』が連載されてしまったみたいな…結構ショックだった。自分が幼少期に見ていた怪獣ものというのは、大体が身長は40mという設定になっていて、それは40mの怪獣を「本気で」受け容れてしまう脳の回路が、自分や当時の子供達にはあったということで。それが(ゴジラみたいな特殊な例を除けば)そんな巨大な存在はウソだろうという話になって、段々身長も小さくなってきて、ヒーローもバッタとか適役も周りでキーキー言ってるだけの奴とかに矮小化されていって、ゴレンジャーとか、自分より一回り下世代の園児とかになるとデパートの屋上でパフォーマンスしているお兄さんのところに行って「暑いのにタイヘンだね♪」とか言い出すのが出てきたりしてw そうなると興行「感」もクソも無いんですよ。もはや誰も本気では見ていない。自分の頃でさえそうだった訳だから、今なんて推して知るべしで、特にネット時代&SNS時代には「リアル」しか成立しない、存在出来ないんじゃないか。結局それは、ワタシは脳科学のことは何も分かってませんけど、多分、ヒトが脳のある領域を使わなくなったということではないかと。同時に、やっぱりこのレベルで見ると「世代論」って成立するような気もしていて、年代が違うと話が通じないっていうのは、こういう感覚的な問題にも左右されてるのではないかと思ってますけどね。
- テレ東観てました
- >オリバーくん、猪木VSモハメド・アリ 等々の「怪しさ」w↑この時代(70年代後半)に成立していた興行と言うのは、正確に言うと興行「感」だと思ってて、度々茂木先生が言われる「タイガージェットシンがサーベル持って登場!」みたいな日常から乖離していく独特の感覚っていうのは、見てる方も半分本気で!(←ココ重要)見てないと、成立しないんです。プロレスが良い例なんですけど、昔は「あんなのは八百長だ!」って怒り出す人が必ず居て、それは、実はプロレスラーって本当にあーなんじゃないかと…ボボ・ブラジルは主食が薔薇の花なんじゃないかとか、ヘイスタック・カルホーンはアメリカの農家から無理矢理連れて来られたんじゃないかとか、あり得ないんだけど、半分はそう信じていた訳で…だからこそ「八百長」っていう「純心な」評価も成立するワケで、それらがない交ぜになって初めて興行「感」が成立するんです。今は違いますよ。プロレスにブックがあるなんてことは、プロレスの会場に居る観客は皆承知だから。その上で、まぁ一つやってみなさいと。そのブックの中でどの位キャラを演じられるのか、技の受け方の巧拙とか、レスラーとしてのアタマの良し悪しとか、どのポジションでどの位貰ってるのかも含めて、全てアスリートを「査定」しているような感じになってる。そうなると「八百長」だと文句を言う人も居なくなる代わりに、リングの上から興行「感」が消える訳です。何故ならそこで行われている興行は、既に「スポーツ」だから…、※そこを無理矢理、以前のような興行感を出そうとすると、大仁田厚が90年代に始めたデスマッチ路線というのが出てくる訳ですけど、それがどこまでも過激化する形でしか!プロレス特有のいかがわしさが出せなくなってしまう。昔はリングの周りに五寸釘を置いてそこに落ちる/落ちないで東スポ辺りの一面は取れましたけど、今五寸釘の上にボディ・スラムってザラなんですよw それが鋏だとか剃刀だとかチェーンソーだとか出てきて、いよいよ過激化もヤバイ、コレでは本当にヒトが死ぬってことになると、今度はそこをキャラの強さとかマイクアピールの上手さ(←一流のレスラーはそこらの漫才師より遥かにマイクが上手)でもってカヴァーして、結局今は、たとえそれがデスマッチだとしても、観戦後に少年漫画のような爽やかさを残してエンディング!みたいな方向に落とし所を見出している…(やはり、昔のような"怪しさ"とか"いかがわしさ"って、結局成立していないんです)。
- 解けるかな解ける様に現しているが遊びの中です☺
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