「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しいYouTube動画「他人に対してやさしくあることを、人生の目標とすることの意味。」を投稿しました!
茂木健一郎の運営するYouTubeチャンネル「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しい動画「他人に対してやさしくあることを、人生の目標とすることの意味。」を投稿しました!
「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」はチャンネル登録者数 93,600人の人気YouTubeチャンネル。
芸能人YouTubeチャンネル登録者数ランキング第375位です。
他人に対してやさしくあることを、人生の目標とすることの意味。
茂木健一郎の脳の教養チャンネル 茂木健一郎 その他
動画へのコメント
- ですよね=>実にそうだなあと思いました。つよくやさしくありたいです。
- 私は自分にとっても厳しくて人に甘すぎるほど甘いです。放置力、放任力がありすぎて、みんなをまとめる事は私にとっては無理です。やりたい事をさせてあげます。そんな私をみて馬鹿みたいにそんな人間は甘すぎる!いけないこと、わるいことはハッキリ言うべきだといいます。でも自分は駄目なんです。
- 優しさは相手に対して、強さと、賢さと、リスペクトの3つが必要。これは一見大変なことのように思えます。しかし、強さは弱い自分を受け入れること、賢さは相手の気持ちを考え続けること、リスペクトは自分の弱さに畏怖すること。この循環が、慈悲としての優しさとなるかもしれない。
- 現代人は、やさしくさられたいのでは? そんな人が増えてるのでは?
- 実にそうだなあと思いました。つよくやさしくありたいです。やさしくあることは、しあわせになることのようにも思います。人間に無償の愛は無いという考えも聞きますが、そのように、人を愛することで愛する方の人が幸福感を得ることが、多いにあると思います。オキシトシン的幸福の一種と言うのでしょうか。そう思うと、強さを求める道も、またいいものかもしれないと思いました。
- 優しくある事と強くある事を両立させるためには、賢さが必要になると思います。
- 成功している人と強い人は必ずしも一致しないとも思います。マリーアントワネットが、民がパンが食べたいという事に対し、ケーキを食べてといったという事で、身分の高さは強さとは一致しないという面もあると思います。強さとは、心の成長という事。お金がどんなにあっても経済観念を持たせる日本のお金持ちは子息を成長させることを大切にするという事があります。心に余裕と想像力が必要だと思います。困難を乗り越えて人は強くなるという事ですね!
- そうありたいです。
- 私も茂木さんのお考えに共感します。
- 「優しさ」というのは、個人の性格の問題ではないね。自分一人だけ生きていて「優しい」はあり得ないから。他人からの依存を自分がどの位許容出きるかという問題。例えば、くっそ忙しくて気分的に一杯一杯の状況の時に女子社員から簡単な用事を頼まれてしまったと。そこで、敢えて断らずにその用件をヘルプしてみたら、意外にも出来てしまった、ということで、忙しいと思っていた状況は実はそれ程でもないことが分かって自分に心の余裕が生まれるみたいなことがある(それは、相手からしたら「優しいヒト」になるのかも知れないし)。なので、あまり個人の強さとも関係なくて、一種の"賭け"みたいなモンじゃないかと(多くは他人の仕事を手伝うと自分も上手くいかなくなるからw)。それを「人生の目標とする」と言うのであれば、ワタシはそういうギャンブルに挑み続ける人生を送ることを決意しました、と言ってるように聞こえる。
- ナイスです
- 他者の幸福を望み、その実現に協力する。 『新約』はその手前で留めています。人の苦しみに寄り添うところで留まりました。『ヨハネ福音』は「御言葉の受肉」、即ち天の父の元からロゴス=父から生まれた(エネルゲイアの自己認識でconceptus自己概念が懐胎され産出)御子が、人間の身になったことを表象します。そして人間の苦しみを「分ち合うcommunicatio」という「十字架」を負いました。 問題はそこからで、「死に至る十字架」を、「復活」で天に上げる=幸福実現としたわけです。「イエス」(ギリシア語逐語訳イエゾース、ラテン語逐語訳Iesusからイエスとなっており、ヘブライ文化ではヨシュアという、日本なら「太郎」=桃の太郎・浦島の太郎・金の太郎…、というポピュラーな名前。)の共同体が実践できたことは、『旧約』の族主義=家族・一族・部族・民族の中心主義を捨てて、その主義により発生する争いや差別を排除すること、それが「新しい契約」であると「伝達commmunicatio」することでした。 他者の幸福が、以上を超えるというか、争いや差別で苦しんでいることへの共感などではない場合、欲求が満たされず不幸だとしているような場合、その他者の幸福を望み、実現に協力することはできなかったことになります。そこには「ご利益」が必要になってきます。「奇跡物語」は、そうした周辺文化を取り込んだと言えると思います。 「ご利益」は現実主義的な望みであり、その現実には権力者の力の作用が必要になります。宗教団体がそうした組織化をしてしまうのも、残念ながら現実です。キリスト教も歴史上はその流れに在ります。 茂木先生の問題提起とは離れてしまいましたが、「他者にやさしくなるために、自分を律する、受容力を持つようにする」というのは、確かに言えることだと思います。「汝の敵を愛せよ」と翻訳されている言葉も、ヘブライ語が「愛する」と「知る」とが同語なので、「敵の立場も知れ」とするのが適切かと思います。すると、敵だとして排除し争うのでなく、立場を知るように話し合うことから、寄り添うことから始めよう、ということになります。 その余裕を持つように、自分を律することを、先生も仰られたのでしょうか。
- パッツン!パッツン!・キュッキュッ!⚡の気持ちでは、人の事までには、なかなか回すゆとりは無いですよね~。寧ろ此方に回して⤴️のSOSを叫んでいる時さえ時として有りますよね…袋の【マチ】の様に、同じ大きさで有っても,袋の奥行きとか幅を取って有ることにより、沢山の物を収められますものね~フムフム。何かと気忙しいような、落ち着いて私。とひと声かけてます良い一日を~。
- 尾崎の歌ったた「勝ち続ける」は、理不尽で矛盾だらけの競走社会に対してその中に身を委ねることなく生きようという宣言であると同時に、そういう自分の信念を貫いて、どこまでも妥協することなく自分の弱さに負けないで生きようという宣言である思います。
毎日更新しています!
日付別に投稿された有名タレント・芸能人公式YouTubeチャンネルのオススメ新着動画の一覧はYouTube動画情報の記事をチェックしてください。