「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しいYouTube動画「周囲の「面倒な人」にどう対処するか?」を投稿しました!
茂木健一郎の運営するYouTubeチャンネル「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しい動画「周囲の「面倒な人」にどう対処するか?」を投稿しました!
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周囲の「面倒な人」にどう対処するか?
茂木健一郎の脳の教養チャンネル 茂木健一郎
動画へのコメント
- o(^▽^)oありがとうございましたm(._.)mV私がめんどくせ〜〜〜〜〜って言われるなので先生のお話に安心できましたずっとめんどくせ〜〜〜〜〜を演じ続けられそうですイェーイ
- 今までは厄介な人への対応を倫理感とか上下関係とかかしこまった緊張によって自分を縛ってたけれど、この茂木健一郎さんの話の内容は自分の考えに無かった叡智だったので自分の中には新しい考え方の回路として生きるのが少し楽になりました。感謝します
- 面倒な人の意見読んでください。このような内容を書く人いないので、かなり面倒な人間かもしれません。 根本的に考えのスタートを一つの仮説ををもとに始めてみようかと思います。デカルトの考えは知りませんが、似ている可能性はあります。宇宙のマクロからミクロまでの無数の物質の運動で成り立っている宇宙の構造を物の動きとしてみます。地球に存在する生命も同じです。ようは単体が運動しているだけなんです。そしてその集合体が生命体になっていますね。 人はそれで意識を持っているといいます。殆どのひとは否定していません。私は意識はないという理解で一つの物の動きとして見ます。一つの意識に関しては私は分かりませんのでご理解ください。 どうしてそのように意識があるように見えるのかというのは人間に意識があるからです。そして物の動きを勝手に人間は評価しているだけなんです。その時に人間の感覚から現れる内部の本性が外部の物の動きを通じて形になって表れているのですね。それを動物にも愛があるというのです。人間のクオリアの正体は結局自分自身の身体性にある本性が環境の動きに映し出されて現れているだけなんです。 これで少し探求しようかと思っています。
- 小説だけなんですか?何か有利なんですか?
- 小説家のように時間をかけて文章に向き合う人ならきっとうまくやれるのでしょうが、文字や言葉によるコミュニケーションは得手不得手もあり、とてもめんどくさい作業です。
- 良いメタ認知的技術だと思いました。人間は不完全でポンコツなもの、まさに。なんだか、上善水の如しを感じます。アドラーの課題の分離を思い出すのも良い手だと僕は思います。自分の課題は自分のもの、他者の課題は他者のもの、自分と他者が交わり重なるなら素敵なこと、そうならなくても仕方ないこと、そう思います。ですがこれより、ポンコツだから愛おしいと思える方が、強く善いと思います。
- せんせいは寝ている間に話の内容が出来上がっているんですか?GOOD MORNING哲学…
- 私の場合は、面倒くさい理由をある程度分析してから、ChatGPTに学問的に整理してもらってます。たとえば、こだわりが強い場合は、社会学、心理学、神経科学、社会文化、発達心理学、などからの分析をしてくれて、「不安や予測可能性の確保」「社会的期待」などの項目で整理してくれます。多角的分析は比較的有効なことが多いです。
- そうですね。
- お笑い芸人さんのエピソードトークは、小説家さんの観察眼と同じかなあと思いました。面倒くさい人がいると、すぐに相手に何か言わず、そのまま流して、もっと面白い事が起きないか、って観察し続けるようです。面倒な人の出来事が、第三者が聞くと、笑ってしまう、という時に、おもしろいっていつも思ってます。プラスへの働かせ方、いいですね、小説家も、そうだなあって思いました。ありがとうございます。
- こちらこそ! ー> “We do not know our own souls, let alone the souls of others.”他人には他人の至聖所があることを肝に銘じて、生きていきたいと最近読書や実体験を通じて痛切に思い至らされております。その契機のひとつをくださった先生に感謝です
- メーター検針員テゲテゲ日記、タクシードライバーぐるぐる日記、のような職業体験エッセイが流行っています。これでもかと迷惑客が描写されていて、キレイごとで済まない現実社会を学べますね。
- せっかく構築した昨日までの概念を分解して再構築しました。「かわいい」は、主観に近づき普遍性が薄れる、しかしながら、惹きつけられる、屈託のない笑顔、無邪気に遊ぶ子犬、川底に光る砂金、ハンバーグの横にあるプチトマト、無理だけどなぜかそうありたいと思える。私の概念が意味なく引き寄せられる。概念の変容を意味あるものとして規定すると、「美しい」も「かわいい」も同じ次元だ。「美学」と言えるかもしれない。という事は、ルッキズムを意味なしと断罪した私の昨日の概念は不完全だったことになる。ルッキズムは自らの「美学」として、他者からは無意味なものに意味を見出す贅沢な営みなんだ。もう、思考がぐるぐる回ってる。そこにさらに「面倒」な話が舞い降りて来た。なんなんだ面倒は、直感的には相手を面倒と感じさせないための生存戦略としての「かわいいの美学」がある。が、しかし、面倒の先に何かがある気がします。あーまた再構築かぁ。ん?砂場で自ら作った砂の城を壊して作り直す光景が浮かんだ。また考えます。ちょー楽しい。
- “We do not know our own souls, let alone the souls of others.”他人には他人の至聖所があることを肝に銘じて、生きていきたいと最近読書や実体験を通じて痛切に思い至らされております。その契機のひとつをくださった先生に感謝です
- 静と動と観察…ですか、先ず静かにして生きてるつもりではありますがもう一度観察を頑張ります。
- 茂木さん、今回もとても興味深い話ですね。生きていれば、人生の中で「面倒な人」に出くわしますよね。人間は不完全であるからこそ互いに寛容でありたい、その主旨に私も賛同します。小説における人物観察、脳科学の5つの性格特性。人間は様々なタイプの性格の人がいる。だから、人間は面白く愛おしい。人を否定するでなく許容する。社会人ならば、ぜひこういう視点を持ちたいですよね。これを「教養」と呼ぶのではないでしょうか。
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