「茂木健一郎の脳の教養チャンネル」が新しいYouTube動画「AGIは神に至る道」を投稿しました!

AGIは神に至る道

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動画へのコメント

  • 気になるなら道端の草をAIは道端にありますか?比較の対象にもありませんこだわる 意識が そうさせている拠り所にしたい方は それなりに今まで人間は 何を拠り所にしていたか機会に頼りたいなら そうしなさい
  • この前太陽は人間が作った!と言う動画をYouTubeで拝見させて頂きましたもちろん、どちらでも構いません❤
  • よくわからんけど民主主義の上に社会主義があって社会主義の上にAGIという神様の競争社会があると。それって戦争のため?平和のため?日本の役割は?今のところ日本株はAIもAGIも国際的な競争力ないみたいですけど。
  • 茂木さんはプロ棋士の一力遼さんと対談されたそうですね。囲碁の世界にも「神の一手」という言葉があります。また「手筋」という概念がありまして、最も勝率の高い流れが「手筋」という一本道で見えるんですね。これは暗闇における懐中電灯のような感覚です。見たい方向に光を向けて初めてその周辺がおぼろげに見えます。しかしAIはどうでしょうか?天井の明かりを点けて隈なく見える状態に似てます。懐中電灯は、方程式であったり、分野毎に分かれてしまっている専門分野のメタファーです。横同士のつながり、連携が取れてない場合が多いです。しかし全体が明るく見渡せると、意外な分野同士がすぐ傍にあったと気づいて、すぐ連携できるようだけど、それらを理解することは簡単ではないでしょう。どこまで明るく照らせるかはその場所の情報量に依存することになりますが、ミクロもマクロも人間では到達できない領域までセンサーが張り巡らされることになります。一力さんが「AIは役に立たない」とおっしゃったんですよね。これはつまり「それが正しいとわかっていても理解できないから自分のモノにできない」という意味だと理解してます。一力さんは棋士なので人力で勝負しなくてはいけません。だからモノにする必要があるわけですが、一般人はそうではありません。初めての道でもGoogleマップに従って運転するようにAIの指示に従うと思います。このヒトとAIとの関係性は、卑弥呼のお告げを信じた古代文明や、科学が脆弱だったために宗教に従った中世に似ていると思われます。そうです、神の再来です。
  • ここの皆さんの苦悩とあっちの皆さんを、緩和せんと遺憾なあとおもって、ちいとっばかり、一句ひねってみました。「先年は龍と思へば今年は蛇」てのーを、あっちの「えごしすてむ」で描こうと思ったんでさーでも、「いき」にこだわる、あっしは、「いなせ」ってーのは露骨はいけねーよと思って、こっちに移動しやした。既出だと、江戸時代の方々に失礼なので、、先年は龍だと思っていたら今年は蛇だったという江戸時代の川柳はなにでしょうか? と念の為、Chat-gptに今朝聞いてみました。 もちろん、私は、自分のオリジナルだと思って、としてドヤって質問してみました。 俳句と川柳の絶妙な江戸幕府に対しての世論の回答として、、そのようなものはあるだろうなと思ってましたが100%一致は無いだろうと思ってました。 回答は以下のものでした。 それは、江戸時代の川柳の一つで、有名なものに以下のような句があります。 「先年は龍と思へば今年は蛇」 この川柳は、干支(えと)に関するユーモアを表現しています。前年に「辰年(龍)」だと思っていたものが、今年になったら「巳年(蛇)」だったという内容で、龍と蛇の形が似ていることを巧みに詠んでいます。 江戸時代の人々の、洒落や風刺を交えたユーモアが感じられる一句ですね。(´・ω・`)エッ どこかのドキュメントの誤用だと思った私は、 「それはどの時代に流行ったものでしょうか?」 とちょっと@@しくなって、具体的根拠を質問してみました。 回答は以下のものでした。 この川柳 「先年は龍と思へば今年は蛇」 は、江戸時代の川柳の中でも特に 天明期(1781年~1789年) に流行したものと考えられます。 天明期は川柳が庶民文化として大いに発展した時代であり、多くの風刺やユーモアに富んだ句が詠まれました。この句も、干支の移り変わりを題材にした 「見た目の変化や勘違い」に対するユーモラスな視点 が特徴的で、当時の庶民の感覚に合っていたため、広く親しまれたと考えられます。 また、川柳は江戸時代中期から後期にかけて盛んになり、天明期はその黄金期の一つでした。この時期には、柄井川柳(からいせんりゅう)による『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』などの川柳集が人気を博し、この句もその流れの中で広まった可能性が高いです。ウッソーン( ゚д゚) まあいいや (*´ω`*) 日本の価値筋だし。。(*´〒`*)ソウダヨ、ノビ太クン
  • ニュートンはリンゴが木から落ちるのをみて感じた。それを数式にしてしまった。ニュートンはどうして数式にしたのでしょう。その前は天動説と地動説で現象を見て人々は天が動いているとか地が動いているとかという評価をしています。数学の起源まで考えてしまいました。どうして人間は現象をみて数式にしたがるのか?考えてしまいます。数式遊びの優秀な人ほど頭が良いという評価基準は一体なんだろうと思っています。 実は数学物理は高校生のときは好きでした。でも大学生になってどうしても理解できなくなって限界を感じたのです。現象を数式で現すという考えが自分の中になかったからです。ただの公式遊びみたいな感覚でやっていたので意味が分かりませんでした。言葉の識字障害と同じですね。
  • 人工知能は「理解する事」はできない立場に立つと、問題を解く事と理解する事の乖離が進むのかも知れませんね。こういう感覚的、身体的、程度の問題を持ち出さざるを得ない所が、人工知能の是非の議論を難しくしている様に思います。知的好奇心も人間の性ならば、人工知能に勝てないと分かっても問題を解く事を人間は止めないのだろう…であるならば、残された手段は人工的な脳の拡張しか無い…?
  • 茂木さん、今回の動画も慧眼が含まれてますね!AGI(汎用人工知能)は人間と同等以上の知的レベルを持ち、人間の行う知的作業のほぼ全てを代わりに行うことが可能です。シンギュラリティ(技術的特異点)が起きて人工知能が加速度的に進化し、ASI(人工超知能)が誕生すると、もうそれは個の人間を遥かに凌駕するもので"全能の神"に近い。こうなると、人間同士の知能や知性の比較は、所詮劣等生同士の低いレベルでの優劣になってしまうわけです。「人間の誇りはどこに持てばいいのか?」「その意義とは?」急に哲学的にして根源的問題が顔をもたげてくる。難しい数学の問題の証明方法も、今まで思いもつかなかったエレガントな証明法がAIによって導き出されるかもしれませんね。AIが科学を支配する。そんな時代がもうすぐそばまでやって来ています。注. ASIはAGIがさらに進化したもので、あらゆるタスクで人間よりも優れた能力を持っている
  • AGIが神に至った時、科学的解明についてAGIが私たちに知見をもたらして呉れる時代が来たとして、AGIの言うことが「これは人間には理解できないけれど、真実を述べている」ということと、「これは単にAGIがハルシネーションを起こしているだけ」ということを、未来の人類はどう区別し判断するのでしょうね。
  • 理神論的な意味で、この宇宙がどのように進行しているのか、その理解を人間単独ではできないかもだから、AGIやASIを開発して、いわば「キセル」してしまおうという動機があるとするならば、やはり人工知能は神に至る道なんだと思う。
  • 諸行無常…行者一睡の理を表す…柿喰えば…
  • 古代から「ノエシス・ノエセオス」と表現されていますが、西欧では「自然神学」と分類される領域の「神」を、ここで茂木先生は仰っておられると思います。 他方の「神」は、「社会共同体の統率者」を表象してきたもので、民族のアイデンティティを示す歴史を描く際に出てくるものです。『旧約』の編集ストラテジーはユダヤ民族史であり、遊牧の小部族が統一民族になる際、一つの部族の先祖崇拝の名に偏向しないよう「ヤーウェ(あるもの)」を掲げ『十戒』で部族間契約を締結したところから描かれました。『創世記』冒頭は、メソポタミア周辺の自然神話を借りてきています。日本の記紀神話も、編集構成は、そっくりです。どこの民族史も、同じだと思います。池上先生も指摘さていた、慶應で出された論文が、ビッグデータから、こうした共同体発生の神概念の証拠を示しています。『旧約』では、統率者は「戦士と祭司」であるとし「士師」としていますが、これもどこの民族でも同じで、次第に祭司の様態が「神」になっていきました。後代では、露骨に社会共同体統率原理として、神に祀り上げられます。ローマも皇帝が神々の一人とされましたし、日本も天皇や、秀吉、家康、皆、社殿で神になりました。  ただ、古代期にも、自然観察・観測をし、その情報を伝承した集団が、共同体の統率者(王)である「神」が、そうした専門特化集団を召し抱えます。その情報と、それが実践知としての技術に結びついたものが、有用だからです。治水・灌漑・気象・天文・土器制作・火の管理(調理に始まり、製鉄等)等々、共同体に必要な特化エージェントを保護し、配下に置きます。これが、社会の中で「神々」になります。各自然現象の支配者の祭司からの連続です。 そして、冒頭の「自然神学」の対象と結びつき、中世・近代・現代の科学sciennce=scientia 知識・情報となったと思います。そうした情報が集合集積する情報プールを、特化・専門の枠を総合して学習するAIが、特化型から汎用型とされ、AGIと表現されるのだろうと思います。
  • シンギュラリティの爆発だぁ~
  • Goldmund, der Mond ist wunderschön.
  • なんか、突き抜けてカッコよく生きたいとかそんな感じなんですよねー俺の中では。

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出典:茂木健一郎の脳の教養チャンネル

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