「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」が新しいYouTube動画「#317【川田利明の“心が折れた瞬間”】有田が勝手に考察!!川田の唯一の“自己主張”とは!?【先輩・三沢光晴への想い】」を投稿しました!

#317【川田利明の“心が折れた瞬間”】有田が勝手に考察!!川田の唯一の“自己主張”とは!?【先輩・三沢光晴への想い】

有田哲平の運営するYouTubeチャンネル「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」が新しい動画「#317【川田利明の“心が折れた瞬間”】有田が勝手に考察!!川田の唯一の“自己主張”とは!?【先輩・三沢光晴への想い】」を投稿しました!

「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」はチャンネル登録者数 263,000人の人気YouTubeチャンネル。

 芸能人YouTubeチャンネル登録者数ランキング第200位です。

#317【川田利明の“心が折れた瞬間”】有田が勝手に考察!!川田の唯一の“自己主張”とは!?【先輩・三沢光晴への想い】

 有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】   有田哲平  

動画へのコメント

  • NOAHの三沢ー川田戦は、仲田さんが全日本のドームの三沢ー川田戦のリベンジの機会を設定したかった。NOAHの最初のドームで川田さんにオファーをかけたけど、川田さんは全日本のエース・三冠王者として星を譲れないこともあって見送られた。川田さんとしては三冠を手放してまで三沢戦を実現したのに、コンディションの良くない三沢さんに花を持たせなければならなかった。再戦を臭わせるようでいて、三沢さんへのエールでもあった川田さんのマイクアピール。三沢さんがいるから頑張ってこれたと事あるごとに述べている川田さんにとっては、再戦がなくても自然な表現だったでしょう。三沢さんも試合直後は「(川田との再戦は)あるかもしれないしないかもしれないし」といった意味のことをスッキリした顔で述べていました。でも仲田さんは怒った。絶縁宣言した。川田さんが後にNOAHにシリーズ参戦したのは、三沢さんも仲田さんも亡くなってからでした。川田さんは「三沢さんがいたNOAHに上がりたかった」と述べていました。今になってみれば、三沢さんに甘えることができて、ダメ出しもできる数少ない後輩が川田さんでした。三沢さんにとって川田さんはうっとうしいけど気の置けない弟。二人にはすれ違いもありましたが、周りが二人の関係を壊してしまっていたような気がしてます。川田さんの心が本当に折れたのは、三沢さんが亡くなった時です。それが事実上の引退の理由でした。
  • 見たらマイクでしゃべれと促されているようにも見えます。
  • 有田さんがメンジャラスKに行かない理由にプロレスをリスペクトする思いが伝わります!!ですが、行ってほしい!!何ならお二人の対談も観てみたいなぁ
  • 6:21ここはなんとなくですけど、あの辺から川田選手はけっこう自分を売るようになってたなと思いました。ちょうど2005年3月に無所属となり完全フリーになって、あの辺から川田選手はけっこう色んな所で営業的な活動やってた記憶があります。2004年からハッスルをやり始めたあたりからマイクパフォが身についてましたし、割と言うことは言うキャラにはなってきてまして、ハッスルでも歌を出そうとしてましたね。あと、深夜の歌手デビュー番組に出て歌手デビューを目指してましたし、正直「あぁ川田はちょっと仕事やお金に困ってんのかな?」と思ったりもしてました。高山選手も言ってましたが「フリーはマジで大変」とのことなので、川田選手もあの時はそういう感じだったのかなと思います
  • 今でも川田ファンです! イー!キャオ!!!
  • 三沢さんですかね? あの取り巻きのめんどい人かな、と想像しました…
  • でも小島が乱入して対戦アピールした時は快く受けたよね。まあ話はついてたんだろうけど
  • 三沢はあの当時コンディションが悪すぎたよね正直、丸藤との師弟対決をやっと時が動ける限界だったね・・・あの時でさえ、三沢さんまだこんな動けたんだと驚いたぐらいだったから。
  • あのマイクについて、有田さんが考察してくださって、すごく嬉しかったです。私なりの考えですが、まず川田さんにとって、三沢光晴というレスラーがやはりとても大切だった。その三沢さんと作る「三沢川田」というブランドに、並々ならぬプライドを持っていたんだと思います。誤解を恐れずに言うと、あの大会での三沢川田は、セミの影に隠れてしまう凡戦でした。特に、三沢さんが動けてなかった。川田さんはそれでも三沢さんの凄さと、説得力のあるフィニッシュを引き出して「三沢川田」を作ろうと必死になったけど、結局三沢さんは川田さんの期待に応えられなかった。試合の最後ゾンビムーブする川田さんに、三沢さんがヘロヘロになりながらエルボーを打つしかなくなって、仕方なくそこで試合を終わらせたようにも見えました。少なくとも川田さんは、アレを「最後の三沢川田」には出来ないと思ったに違いないのです。だから、マイクを握ったのではないでしょうか。有田さんの言うとおり、今まで様々我慢してきたけど、こればかりは我慢できなかった。そして、(三沢さんコンディションを整えてください。自分よりも一つ上の力をもっていた三沢さんを取り戻してください。そして本当の三沢川田をファンに見せましょう)と、これがあのマイクで伝えたかった事だと思います。しかしそれは、川田さんから三沢さんへのダメ出しでもあったために、三沢さんのプライドにも障っただろうし、その裏に居て三沢さんのイエスマンをしていた仲田さんを怒らせたのだと思います。たしかあのあと、ノアから絶縁を告げられた川田さんが、「大量離脱から全日本に残って今日まで頑張ってきた事全てが無駄になった」みたいな事をもらした。それって、そこまでして必死に守ってきた看板が、実は「全日本プロレス」ではなくて、「三沢川田」だったからだと思うのです。だから心が折れちゃったのではないでしょうか
  • 確かにこの試合後のマイクアピールでNOAHという会社自体から拒絶されたのもあると思いますがどんな状況になっても生きていれば再び交わる可能性は残りますから最終的には2009年6月13日がターニングポイントだったんだと思います。
  • 栃ィ木〜 アイラブ栃木県〜
  • 結局、時代も含めてキャラなんかな?長州なんて、言動・行動共に好き放題だったやん
  • 川田さんって饒舌でおしゃべりらしいけど、プロレスだと寡黙で一歩引いてる無骨なイメージですよね。ゲストで出てくれないかなぁ。最近トークショーで川田さんよく見るので。
  • 力皇vs棚橋ってこのドームの時かな?
  • 試合のクオリティも決して高いものではなかったし、動きや身体つきを見ても全日本時代の全盛期には遥か及ばなかったでも離れ離れになった2人の物語がまた交わったあの瞬間は感動したなぁ
  • 「川田選手が心折れた瞬間」と聞いて、わたしも真っ先に思い出したのは同じ場面でした。やっぱりそこですよねと。当時個人的には、NOAH側はなんでそこまで怒るんだろうって位の過剰反応に映りました。想像するに三沢選手と川田選手の関係で身内にしか分からないような深刻な軋轢があったのかなと。
  • 川田はノアに上がる前からハッスルして腰振ってました。実況でも「生きる為に腰も振りました」と語られています。でもそれもプロレスラーとして生きる為、三沢と戦う為と色々な思いも語られてます。あの試合自体は互いに枯れた中で良い試合だったんです。三沢のコンディションの悪さを語られますが三沢は社長業を減らしてまでドーム前に走り込みを増やしてスタミナを鍛えてました。川田自身は三沢の体つきを見て駄目かと思ったけど実際はスタミナがしっかりあった上で三沢のエルボーの強烈さを忘れていた事と衝撃が凄かったと語っている。そして負けた事は全日本に残って必死に生きていた事が無くなってしまった感覚に陥ったと語り「勝ちたかった」と絞り出して答えていた。川田自身は有酸素運動を増やしてスリムな身体で挑んだ分パワー不足であり川田も万全ではなかった。三沢だけ悪く語られるのは不公平だと本当に思う。三沢も川田も枯れた状態で本当に良い試合をしていた。
  • 心が折れた結果、ハッスルで江頭2:50と共演して 「川田19:55」として伝説を作ったわけか。ジャイアント白田と大食い対決やったり、小島よしおとオッパッピーやったり。
  • これは神回。考察の内容も素晴らしいが、噺の構成と表現力が凄い。もう有田名人と呼ばせて下さい。
  • 川田さんのお店の口コミ見てたらなんか悲しくもあった

毎日更新しています!
日付別に投稿された有名タレント・芸能人公式YouTubeチャンネルのオススメ新着動画の一覧はYouTube動画情報の記事をチェックしてください。

YouTube動画情報はこちらをチェック! 

出典:有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】

\この記事が気に入ったらシェア!/